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かくよむpeace / 創作「明日は海へでかけよう」

創作 「明日は海へ出かけよう」

                                  黒田志保子

 わたしが子どもの頃に暮らしていた村は、今はもうない。

 その村が地球上に存在していたことを知る人も、もうほとんどいないのかもしれない。


     *


ミョンとソンの父さんがいなくなった。

 父さんは、カオ先生と呼ばれていて、学校の先生をしていた。

 優しくて子どもたちに人気だった。でも、「近いうちに戦争が始まる」とよく言っていたせいで、おとなたちには、「変わり者」と言われていた。

 父さんがいなくなって、母さんは、いらいらするようになった。

 兄さんのソンは、いつもと変わらず窓辺で静かに本を読んでいた。

 それからしばらくして、本当に戦争が始まった。

ミョンの村は、とても小さな村で、ミョンの通う小学校も、1年生から3年生までは、同じ教室で勉強をしていた。

ミョンは4年生で、6年生の兄のソンと同じ教室で勉強をしていた。ソンはとてもよく勉強ができた。ソンは、家でいつも読書をしていたし、父さんの本棚から難しい本も借りて読んでいた。おとなになったら、父さんと同じように、学校の先生になるんだと言っていた。ミョンは、何かお店をしてみたいなと思っていた。でも、たまに、ソンや父さんと一緒に学校の先生にもなってみたいと思ったりする日もあった。

 けれど、それも、戦争が始まらなければの話しだった。


ミョンたちの住む村は、にぎやかな町からは遠く離れ、森を一つぬけなければたどりつかないとても小さな村だった。だから、戦争が始まっても、人々の暮らしはあまり変わらなかった。こんな小さな村を襲う理由などなかったからだ。

村のおとなたちは、ミョンの父さんはやっぱり大げさだったと、笑っていた。

 

父さんがいなくなったので、学校では、チム先生が大きな学年の子どもたちの勉強を教えてくれた。チム先生は、とても年をとっていたけれど、しわでかくれそうな目はいつもにこにこしていた。

「どうしてカオ先生はいなくなっちゃったの」

 4年生の子がチム先生に聞いた。

ミョンは、体をかたくしてチム先生の言葉を待った。

村では、戦争が始まるのがわかっていて、カオ先生が一人で逃げたんだろうという噂もあった。

「さあどうだろうかね。でも、みなも知っているだろう。カオ先生が、ずるいことがきらいな人だということは」

 教室中の子どもたちが、ため息とうなずきをあちこちで発した。

 ミョンが、ソンをそっとふり返ると、ソンもミョンの方を見て小さくうなずいた。

その夜、国の兵隊たちが数多く殺されてしまったという悲しい知らせがミョンたちの村にも届いた。兵隊がたりなくなったら、小さな村の若者たちまでかり出されるかもしれないと、おとなたちがひそひそと話しているのを聞くようになった。

それだけじゃない、この村にも兵隊が攻めて来るかもしれないとも聞こえてきた。

こんな小さな村を攻めて何の得があるのだろうと、ミョンは思った。

村人たちは、家にしっかりとカギをかけ、音をたてないようにじっとしずかに夜を過ごした。ミョンの家でも、ソン兄さんの部屋に集まって、母さんと3人で眠った。

毛布にくるまって寝ているミョンの耳に、ソンの声がかすかに聞こえた。

「明日は海へ出かけよう」

ミョンは、夢の中でうなずいた。


海は、ミョンが小さかった頃、父さんと母さんとソン兄さんの4人で行ったことがあった。

海は、ミョンの住む村からは遠くて、早起きしてでかけても、着いたのはお昼だった。

海は青く、うんと遠くまで広がっていた。

「海のむこうに何があるの?」

ミョンが聞くと、父さんが答えた。

「わたしたちと同じように、たくさんの人が住む町や村があるんだよ」

「へえ! 会ってみたいなあ!」

「いつか会えるさ」

海のむこうにも、ミョンたちと同じように、家族でお弁当を食べて、遊んで、学校に通っているだれかがいるのかもしれない。ミョンは、母さんの作った鶏肉のしっかりつまったまんじゅうをお腹いっぱい食べた。

夜中におしっこがしたくて目を覚ますと、ソン兄さんはもう学校へ行くしたくをすませていた。

「早いね」

ミョンがおどろくと、ソンはうなずいた。

「今日は海へ行くって言っただろ」

「本当に? 学校は?」

あんなに勉強の好きなソンが、学校を休むことが不思議だった。

ソン兄さんは、ミョンの質問には答えないで、カバンを背負った。

「母さんがお弁当を作ってくれてる」

そういえば、台所から鶏肉まんじゅうを蒸す香りがただよってきている。

「海でぬれるといけないから、着がえと、それから、自分のたいせつなものを一つだけカバンに入れとくといいよ」

「海に行くのに、たいせつなものも持って行くの?」

「ミョンは泳ぎがうまくないからな。お守りだ」

兄さんがからかうように言ったので、ミョンは少しだけ気分を害した。けれど、それよりも、兄さんと一緒に海へ行けることのほうが楽しみだったので、カバンに着がえと宝物をつめた。

宝物は、父さんのくれた小さな缶バッジだ。

父さんが、仕事で外国へ行ったときにお土産に買って来てくれたものだ。

何と書いてあるのか分からなかったけれど、赤くてかっこいいタワーの写真が印刷してあるバッジで、ミョンのお気に入りだった。

「それはいいね」

 兄さんがほほえんだ。

 それから、鶏肉まんじゅうが蒸しあがったので、ミョンたちは家を出た。

母さんは、海へ行くのだから、動きやすい服装がいいと言って、黒いズボンと紺色の上着を着た。

 外はまだ暗かった。

 昔、4人で海へ出かけた時は、もう少し朝はゆっくりとしていた気がするのになと、ミョンは思った。

 暗い森を通りぬける時は、3人とも静かに歩いた。

 かすかな音がして、小さなコウモリがミョンの肩をかすめていった。

 背負ったカバンの中から、鶏肉まんじゅうのにおいがしたのかもしれない。

 

町に着くと、始発の列車が待っていて、母さんがミョンたちに切符を渡した。

 いつの間に切符を手に入れていたのだろう。ミョンは母さんの顔を見上げた。

 母さんは、まゆにしわをよせていた。

 ミョンは、さとった。

 きっと、この切符は、父さんが送ってきてくれたにちがいない。

 列車に乗って海まで行けば、父さんに会えるのかもしれない。

 ミョンは、切符をぎゅっとにぎりしめた。

 かたい紙の切符なのに、あったかいような気がした。

 

 列車の窓の外は暗くて、景色がよく見えなかった。

 遠くに、ミョンの村と町をへだてている森がこんもりと黒く見えていた。

 村の人たちは、まだ寝ているだろう。

 今日は学校で何の授業をするんだろう。

 そういえば、隣の席のムンに鉛筆を一本貸していたんだった。あいつはよく忘れ物をするから、いつも父さんが、メモをするくせをつけなさいと注意していた。

 ミーナは今日もかわいい髪型で学校に来るにちがいない。

 ミョンはいつの間にかうとうとと眠りはじめていた。

 列車のコトンコトンという揺れは、早起きをしたミョンの体に心地よかった。

 向かいの席でソンが本を読んでいる。

 兄さんはどんな時でも、本を読んでいる。あの本の表紙は、たしか、兄さんの一番のお気に入りの本だ。主人公が、まっすぐで不器用な若い教師の物語だと兄さんは言っていた。ぼくたちの父さんは、物静かで落ち着いていて、この本の中の教師とは似ていないけれど、でも、父さんもまっすぐな人だと思うと、兄さんはよく言っていた。

 父さんがいなくなった時も、ソン兄さんだけは落ち着いていた。

 父さんがミョンたちを見捨てるわけがないと信じているみたいだった。

 列車に人が増えてきて、少し暑くなってきた。

 ミョンがうっすらと目を開けると、通路の向こうの席にムンが座ってうとうととしているのが見えた。

「え?」

 立ち上がりそうになったミョンのひざを、隣に座っている母さんがそっとおさえた。

 母さんの顔を見上げると、母さんは静かに首を横にふった。

 ソン兄さんも本から顔を上げ、小さく首をふった。

 ミョンがおそるおそるまわりの席を見わたしてみると、ななめ前の方には、ミーナが座っていた。いつものかわいい髪型じゃなかったけれど、深くかぶった帽子の下からのぞく鼻がつんと上を向いていて、ミーナだと分かった。

 チム先生も遠くの席に座っていた。チム先生の隣には、奥さんも座っていた。

 肉屋のおじさんもいた。

 花屋のお兄さんもいた。

 散髪屋のおばさんもいた。

 学校のともだちたちが、あちこちに座っているのが見えた。

 まるで、村ごとこの列車の中にひっこしてきたみたいだった。

 ミーナが目を覚まして、ミョンに気づいて立ち上がりそうになった。

 ミーナの母さんが、そっとミーナをだきしめて座らせた。


 列車は、カタンコトンと鳴りながら、やがて終点の海近くの駅にたどり着いた。

 朝がうっすらと明けようとしていた。

 村人たちはお互い何もしゃべらなかったけれど、行くべき場所を知っているように静かに歩き始めた。

 海辺には、遊覧船ほどの小さな船が止まっていた。

 船のそばには、父さんが立っていた。

 ひげが生えて、少しこわそうな顔をしていたけれど、父さんだった。

 父さんは、ミョンたちを見つけると低い位置で手をふった。

 チム先生が父さんに近づいて行って、二人がしっかりと握手しあうのが見えた。

「さあ、早く乗って。急いで、もうすぐ朝が来る」

 チム先生の声で、村の人たちは静かにどんどん乗船していった。

 列車の中では、村の人たちが全員で列車の中に移動してきたように思えていたけれど、船に乗ってみると、その数はとても少なかった。

「少ないな」

 父さんが悲しそうに言った。

 チム先生がうなずいた。

「どうしても信じてくれない人もいる……これでせいいっぱいだった」

「いいえ、ありがとうございます」

 父さんが言った。

 船が、静かに動き出した。

 誰も甲板に出てはいけないと父さんが言ったので、ミョンたちは、薄暗い船体の中で過ごした。

 最初の三日目くらいまでは、ミョンもソンも、朝、夜、朝、夜と日にちを数えていた。けれど、太陽を見ないで日にちを数えることはとても難しかった。

 母さんの作ってくれた鶏肉まんじゅうも、もうなくなってしまった。

 船の中には食糧も積んであったけれど、少しずつしか食べてはいけなかった。

 水もがぶがぶ飲まないようにと、父さんが言った。

 船の中では、ケンカが起きたりもした。

 そういう時は、たいていチム先生がいさめた。

 おとなたちは、子どもの頃、みんな、チム先生に習っていて、おとなになった今も、チム先生のことを尊敬していた。

 船の中では、節約のために体を洗ったりふいたりすることもできなかった。

 雨の日に甲板に出て雨をあびたいくらいだったけれど、がまんするようにと父さんが言った。

 ミョンたちの体からは、動物みたいなにおいがしてきていた。

 母さんは、気分が悪くなって、船の隅っこに座り込んで、まゆをしかめたまま床を見つめるようになった。

 ソン兄さんは、小さな子が泣いていると、一緒に遊んであげていた。ミョンも習って、小さな子をあやした。

 父さんや他のおじさんたちは、ひげもじゃになっていった。

 チム先生の奥さんが、体をこわして、寝込むようになってしまった。

 船底はむし暑く、体をこわした人たちにさらに苦しみをあたえた。

 ミョンは、どうしてこんな船旅をしなきゃならないのかと思った。

 食糧がつきた頃、ミョンたちは、知らない国の大きな船に助け出された。


     *


 わたしは今、赤いタワーのある国に住んでいる。

 缶バッジの写真のタワーは色あせてきたが、この国のタワーは今も美しく、夜にはライトアップされて輝いている。

この国へ来て三十年がたった。

 ソン兄さんも、父さんも母さんも一緒に住んでいる。

 父さんと母さんは年をとって、毎日の仕事は、猫にエサをやることと、散歩に出かけることくらいになった。

 ソン兄さんは、英語学校の先生をしていて、この国の女性と結婚した。

 わたしは、ミーナと結婚して、小さな食堂をひらいている。

 鼻が上を向いてミーナによく似た娘は、パン屋でアルバイトをはじめた。

 今朝、新聞のすみっこに、小さな記事を見つけた。

「S村の悲劇 3時間で消された村」

 記事には、三十年前の戦争の時、新しい武器の実験のため、その村に多くの兵隊が送り込まれ、たったの3時間で焼きつくされことが書かれていた。

 村の人々は全滅し、当時の様子を知る者はもういないのだという。

 わたしは、猫をひざに乗せてうとうととしている父さんを見つめた。

 それから、新聞紙を小さくたたんで、ゴミ箱に捨てた。



ー この物語の転載、複製、改変等は禁止いたします ー


この創作は、かくよむpeaceの試みです。

  かくよむpeaceについては、↓こちら↓

https://jibunkyokansai.exblog.jp/241887685/



by jibunkyo | 2026-03-05 14:51 | かくよむpeace

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